今日初めて生の落語を聞きに行った。
2千人近く集客できる大ホール、僕は二階席の一番前。
客層の大半はやはり白髪交じりのジっちゃんバっちゃん。
しかし以外にも若いカップルもいたりした。
「どんな演出」「どんな客層」をすかさずチェック。
ブザーが鳴るまでキョロキョロ周りを見回した。
幕が上がる。
太鼓の音が鳴り拍手とともに舞台の全貌が明らかになった。
僕はたまげた。
舞台の中央に台があり座布団があるだけ。
後ろに地味な屏風が一枚ヨイショと置かれていた。
「お金かかってねー!?」
舞台上手から着物姿の男がヒョイと現れて中央へ。
そう、生身だ。
ギターなんて持ってない、あるのは喋れる体一つ。
当たり前すぎることに僕は戸惑った。
前座から始まり目的の方の落語を聞くまで約2時間。
途中正直眠くなったりもした。
寝たりもした。
けれど僕のこれからに大きく係わってくるだろう舞台だった。
僕のライブは弾き語りが基本。
語る上で一番大切なことは何か?
そう、それは「間」。
音がない静寂が一番重要なのだ。
僕は思う、究極の音楽は「無音」だと。
息を呑む瞬間は果てしなく不安定で官能的。
お客さんと演じ手の駆け引きがそこで行われる。
「上手い喋り手」と「下手な喋り手」の差は何だろう?
むやみやたらに喋っても内容の一つも残らない。
あまりにも「間」がありすぎると退屈になる。
余裕を楽しめる心の大きさ、経験からくる自信。
そして究極は人間性
僕は帰りの電車で自分を省みた。
午前中飲んだ健康診断のバリュームが腹でうずく。
滴る傘の雫。
バックの中、買い込んだ落語のCD。