初恋

夕立の中、自転車をこぐ一人の少年。
お気に入りのハワイアンシャツ。
泥を撥ね工場地帯のわき道を通り抜ける。
油が流れ七色に輝く水溜り。
「あの子に会いたい」
初恋は突然だった。
小学校の図工の時間一緒になったグループにその子はいた。
「一グループ一つ電球を使った置物を作ること」
終わりそうもない課題、続きは放課後その子の家でやることになった。
「めんどくせーな」
女子二人、男子は彼だけ。
セミの声、白い雲、フェンス越し青いプール。
彼はその日放送のアニメのことを考え舌打ちをした。
「さよなら、気をつけて帰ってね」
黄色い帽子をかぶった集団を抜け出し彼ら3人は傾きかけた太陽の下を歩いた。
ズシーンズシーン。
工場地帯に響く大きな音。
脇に生えた猫じゃらし。
女子二人は遠ざけるように振り返り笑う。
彼は小石を蹴飛ばしながら歩いた。
「あらいらっしゃい」
二階建ての木造建築。
大きな玄関を開け、彼女の母親が笑顔で迎え入れてくれた。
太陽にくらんだ目のせいか中は暗く、ひんやりした廊下が心地よかった。
「じゃあ慎ちゃんはこれに穴あけてね」
女子二人は彼にかまわず銀紙で星の形を切りだし黒い紙に貼り付け始めた。
どうやら電球を星にみせて夜空の置物をつくるらしい。
彼はすぐに飽きてしまいおやつに出されたヤクルトを一気に飲み干した。
入れ物を口に吸い付ける。
「たこ」
彼女達は一瞬彼を見るがすぐ作業を再開した。
「たらこ唇」
入れ物をはずし、口の回りについた跡を見せる。
今度は完全無視。
彼はまた一人さびしく紙に穴を開け始めた。
ふと彼は顔をあげる。
静かな部屋には女子二人と彼一人、階段の下からは小さくテレビの音が聞こえる。
彼はこの静けさを壊したかった。
「ねぇねぇ」
彼は女子の赤いランドセルを前にしょい、空いたヤクルトの入れ物をズボンに突っ込み股間が膨れ上がったようにみせた。
「きゃぁぁ」
女子のほうへ手を上げ近づくと、思ったように悲鳴を上げて二人は逃げ出した。
彼は面白がるように部屋中を駆け回る彼女達を追う。
「わぁぁ」
彼女達は部屋を飛び出し二手に別れ逃げ出した。
彼は少し時間を置き、鬼ごっこのように彼女達が隠れるのを待った。
股間のヤクルトを直しゆっくり彼は歩き出した。
足音を立てぬよう階段をくだる。
テレビを見ている母親と目が合う。
「・・・」
彼は目をふせ何もなかったようにやり過ごした。
「どこにいるぅ」
うなるように鬼はあたりを見回す。
返事はない。
ふと振り返ると立てかけられたテーブルの裏から物音が聞こえた。
「いたなぁ」
畳の上をわざと足音を立て歩く。
物音は大きくなり確実に誰か隠れていることがわかる。
「わああああ」
すかさず彼は大声をあげテーブルの裏をのぞきこんだ。
そこに彼女はいた。
彼女の見上げる瞳、しゃがみこみ怖がるでも笑うでもなく彼を見つめる瞳。
彼はそのとき不思議な気持ちにとらわれた。
今まで感じたこともない照れ。
「どこにいるぅ」
彼はすぐさまもう一人の女子を探す振りでその感情をごまかした。
あれは何だったのだろうか?
彼はにわかに残る胸の重みを感じながら股間のヤクルトを直し階段を上った。
「気をつけて帰ってね」
日が沈み、草むらから鈴虫の声が聞こえる。
彼女と彼女の母親は小さく手を振り彼を見送った。
うっすら浮かび始めた星達、彼はできたばかりの電球の夜空の置物を握り締めた。
彼はその夜、彼女の夢を見る。
彼女の顔、見つめる瞳。
目覚めれば彼は恋に落ちている自分に気付いた。
「好きだ」
突然の胸のうずき、彼はいてもたってもいられなくなった。
小学校へ走り彼女を見つける。
「お、おはよう」
彼の顔は赤くなりうまく言葉がでてこない。
不思議そうな彼女の目。
彼は一日授業も上の空でずっと彼女の机を見ていた。
友達と話す彼女の笑顔、揺れる黒髪。
昨日まであんな近くにいたのに今はこんなに遠い。
放課後が来るまで彼は彼女のことを考えていた。
「さようなら」
彼は走った、ひとつの決心を胸に通学路をただひたすら真っ直ぐ走る。
家に着くとランドセルを投げ出し、自分が一番オシャレだと思っていたアロハシャツに袖をとおし小さな黒い自転車にまたがった。
「彼女に会いたい」
彼の恋のレースが始まった。
入道雲が彼の頭上を覆い、ゆっくりだった雨の足音が急に激しさを増した。
グレイだった地面は真っ黒に染まり、アスファルトの匂いが鼻をさす。
「彼女に会いたい」
立ちこぎをするハンドルは左右に揺れ、汗とも雨ともつかない雫が彼の顔を濡らす。
まるで焦る心を追いかけるように彼は彼女の家へ急いだ。
「ピンポーン」
ビショビショの体で彼はチャイムを押した。
玄関の屋根の下、滴る雫も拭わずインターホンからの彼女の声を待った。
「はーい」
くぐもった声は確かに彼女だった。
彼は胸の高鳴りを押さえられずにいた。
「なんて言おうか、遊びにきちゃった?会いにきちゃった?それとも・・」
彼の頭がまとまらないうちに玄関の曇ったガラス越しに彼女の姿が見えた。
「なんて言おう・・」
玄関が開き、彼は顔を上げた。
そこには見た事もない女性が立っていた。
「あらこんにちは」
彼は即座に気付いた、彼女の姉だ。
「○○○ちゃんいますか?」
彼女は残念そうな顔をしてこう答えた。
「今、習い事に出かけちゃってるのよ・・」
「あっそうなんですか」
彼は精一杯の笑顔を見せて会釈をする。
すぐさま振り返り自転車にまたがった。
彼は自分のとった行動を恥じた。
「突然行って会えるわけないじゃないか・・バカッ」
雨は彼を包み、アロハシャツはすっかり肌に張り付いている。
自転車をこぐ力もなくなり歩いて帰った。
・・初恋。
誰もが青臭い自分を隠すように照れながらそれを喋る。
あの頃僕達は「恋」なんて言葉も知りもせず人を好きになった。
背伸び、デート、SEX、考えもしない。
純粋な恋。
今日も窓の外は雨。
横で眠る女の寝顔を見つめながらあの日のことをふと思い出してみた。