最上級のエゴ

CD屋に行く。
僕はまとめて10数枚買うのだが、これって物にめぐり合える確立は1%ぐらいだろう。
その他のCDは「何じゃこりゃ?」というものばかり、それか一曲はいいけどその他は問題外という感じ。
一歌手の端くれとして言うが・・
「これでお金とっていいのか?」というものが多すぎる。
好みはもちろんあるだろう、しかしジャンルはともかく「心」や「情熱」は共通だ。
どんな無機質な音楽にしてもそうだ、必ず作者の心が作品には反映する。
僕はどんなジャンルも聴くし苦手なものはない。
けれど「心」が感じられないものだけはダメだ。
そんな曲を聴くと「音符の無駄使いすんなよ」僕はいつも嘆く。
CDが最近売れなくなっていると人は言うけれど、パソコンのせいでも他のエンターテイメントの成長のせいでもないだろう。
「買うだけの価値のあるものがない」
ただそれだけのことなんじゃないだろうか?
正直こう書いている本人もビクビクするような発言だ。
「おめーこそ買うだけの価値ある曲作れんのか!?」
きっと言われるに違いない。
けれど僕には変な自信がある。
なぜなら自分が感動できない曲は決して作らないからだ。
自分の曲で泣けなくて他人が涙をこぼすわけがない。
僕と同じ感性のある人には必ず伝わる曲を作っていると思っている。
「天狗になるなよ!」
そんなの百も承知だ。
歌や物を作るうえで一番の定規は自分だ。
自分に確信的な何かがなけりゃ物は作れない。
アートなんて最上級のエゴだ。
しかし最上級のコミュニケーションだ。
相反する中で悩み苦しみ葛藤し生まれるものが本当の作品だと僕は信じている。
人は長く生きて100年。
宇宙から眺めればほんの一瞬の光でしかない。
僕があなたに歌を聴いてもらえるという確立はどのくらいなのだろう。
計り知れない確立の中で僕の歌はどんなメッセージを届けられるのだろう。
あってもなくても宇宙には関係ない僕の歌。
だからこそイイと言ってもらいたい。
「この歌が聴けてよかった」
そう言ってもらいたい。