吾輩は銭である

千円札になりたい。
「もし生まれ変わるなら何になる?」
友達同士の会話で一度は出てきたことがある話題だろう。
よく「もう一度自分になりたい♪」なんて言う奴がいる、けどちょっとつまんない。
俺は千円札になってみたい。
人から人へ、北海道から沖縄まで旅する風来坊。
一万円より五千円よりなんといっても千円札!
造幣局生まれの日本育ち。
大富豪の憂鬱も、貧乏人のニヤツキも、人間のありとあらゆる表情を知っている。
なんでこんなことを思ったかだって?
そりゃただの思いつき、財布の中から夏目漱石がじっと不安そうにこっち見てるんだもん。
「次はどんな人の財布に行くんだろう・・」
ファンタジーでスペクタクルな冒険が毎日待っている。
もしかして自分が争いの引き金になりうるかもしれないし、幸福の一片になりうるかもしれない。
とんでもなくワクワクしてこない?
それにしてもこの夏目漱石・・モナリザみたいに見つめてきやがる。
一旦目を合わせたら最後、瞬きもせずじっとこっちを見てくる。
ウソも見透かす眼差しで。
きっと造幣局が総力を挙げて描いた渾身の「夏目漱石」なのだろう。
造幣局の怨念がこもってるからこんな目をしてるのかな。
「吾輩は銭である、エッヘン」
さっき思ったけど、生前の夏目漱石より紙幣になった夏目漱石のほうがいい作品書けるんじゃないかな。
「坊ちゃん」より現実的で「吾輩は猫である」より非現実的な超ベストセラーが生まれるに決まってる。
俺は千円札になってみたい。
人間の性を目の当たりにしてみたい。
きっといい歌が歌えるだろう、ってお金は歌を歌えない♪っと。
でも確実に財布の隙間からこっちを見ている夏目漱石は俺より世の中を知っていて、涙も流せない瞳を閉じることなく人間を見つめてきたのだろう。
ある意味、「神の眼差し」かもしれない。
いや「紙の眼差し」か・・。
人間勝手だよな。
命を削って働いてやっと手に入れるお金、どっかでは古くなっては捨て、廃棄処分されてる。
昨日まで命よりも大事にされてたものも、次の日になればゴミ同然に扱える人間のすごさ。
やっぱ千円札になりたくねーや!