最大のライバル

3万人の観衆はまるでキャベツ畑のようだった。
僕達「どんぐり」は横浜スタジアムのステージに立っていた。
一年に一度、音楽好きの高校生が一同に集まるイベント「横浜ホットウェーブフェスティバル」の決勝戦
ギラギラに照りつける太陽の下、ステージの熱気は最高潮に達していた。
僕は島田と中村に目で合図を送り、静かにカウントを始める。
横浜スタジアムはシーンと静まり返り、太陽さえも息を呑んだ。
「ワン・・ツー・・スリー・・フォー・・・」
その瞬間、僕の頭の中に1年前の出来事が嵐のようによみがえってきた・・。
そう、セミが鳴いていた。
高校二年の夏休み僕はギターケースを抱え駅前のベンチに座っていた。
「どうしよっかなー・・」
ハンカチで汗を拭くサラリーマン、サンダルを不機嫌そうに鳴らすマダム。
みんな黙って背中の黒いシミを重そうに運んでいく。
今年の夏は記録的な猛暑らしい。
「やってみるか・・」
僕は初の路上ライブを決行しようとしていた。
みんなの目線を避けるように下を向き、ゆっくりギターを取り出す。
イギリス留学中、僕はストリートミュージシャンを何人も見た。
「かっこいーな」
誰も立ち止まらなくても、彼らは彼らの世界を表現していた。
「絶対帰国したら俺も路上で歌ってやる!」
ジャーン・・・
ギターを鳴らし、静かに歌い始める。
通り過ぎていく足、足、足・・。
僕の声は街の雑踏にかき消され、聴いている人など誰一人いなかった。
恥ずかしさと孤独感で胸が締め付けられた。
歌はだんだん小さくなり、とうとう歌うことを止めてしまった。
しかしその時、救いの神が現れた。
「あれっ工藤じゃん」
突然の声にビックリし顔を上げる。
そこには音楽仲間の島田が立っていた。
「何やってんの!?」
僕は照れ笑いしながら、また歌い始める。
曲が終わるか終わらないかの内に島田はこう言った。
「俺も歌わせてよ!」
二人は練習し、みるみる上達した。
何回もライブを繰り返す間に幼馴染の中村も加わり、あっという間に3人組のグループ「どんぐり」ができた。
「毎週日曜の午後1時から必ず路上ライブをやろう」
その頃川口駅にはストリートミュージシャンなど一組もいなかったので、物珍しげに足を止める人が多かった。
「変わったダンス踊りながら歌う3人組がいるらしいよ」
噂が噂を呼び、少しずつだが人だかりができるようになった。
そして僕達は雨の日も風の日も路上ライブを続けた。
「次!大好きな曲、ひまわり歌います!」
そして一年程過ぎたある日、僕達は音楽雑誌の1ページに目を奪われていた。
「目指せ横浜スタジアム!」
確かめなくても三人の気持は一緒だとわかっていた。
「やっちゃいますかー!」
僕達の挑戦が始まった。
テープ選考の一次予選、3000組中たった30組しか選ばれない。
「受かるはずないよな・・」
初めての期待と不安に押しつぶされそうになりながら結果を待っていた。
「一次予選通過です」
突然の電話に受話器が震えた。
「よっしゃー!!!」
びしょ濡れになろうと関係なかった。
小雨降る夜の道を自転車で飛ばし、島田が働いているスーパーを目指した。
「受かったぞー!!」
棚に品物を並べていた島田が途方にくれていた。
「え!?」
人の目など気にせず、僕達はスーパーのど真ん中で抱き合った。
一ヵ月後、ライブ審査の二次予選が始まった。
今度で30組中18組に絞られる。
「さあ、今回合格すれば横浜スタジアムで歌えますよ!今の気持は?」
なれなれしく司会者がマイクを近づけてくる。
「1年も路上やってきたんだぜ、怖いモンねーよ」
他のグループのことなど考えず全力で歌った。
「怖いモンねーよ・・」
全組が歌い終わり、結果発表が始まった。
ドラムロールで次々に名前が読み上げられていく。
足が震えていた。
中村は笑って余裕なふりをしている。
島田は呆然と立っている。
あっという間に17組が読み上げられ、最後の一組のドラムロールが鳴り始めた。
長い時間だった。
「最後の一組は・・・」
三人が目をつぶった。
「神様・・・」
その瞬間大きな歓声が上がった。
僕達は一瞬何が起こったのかわからなかった。
「どんぐりです!!」
ウォォォー!!!!!
客席中パニックになった。
敵も味方も関係なくみんなが手を叩き喜んでくれていた。
島田の目には涙がにじんでいた。
中村は余裕だったろ?という表情で笑っている。
僕も飛び上がるほど嬉しかった。
けれど頭の中では、この一年間の景色がグルグルと回っていた。
誰も見向きもされなかった僕が、仲間とともに歌い始めた一年前。
始めは戸惑い、冷やかされ止めようと思った。
「歌は僕達の生きてる証です!」
しかし人は少しずつ賛同し、僕達のまなざしに自分を重ねるようになった。
「一生懸命で何が悪い」
他人の目を気にして、見た目だけを重視する世の中に喧嘩を吹っかけた。
「世界が滅びるその前に僕達が革命をおこすんだ!」
不器用に、そして純粋に叫んだ。
「僕達は生きてるんだ!!」
世界を敵に回しても僕達は歌い続けたろう。
小さな憧れから始まった路上ライブ。
僕達は無心だった。
歌がただ単に好きだった。
だから人の心を動かせる歌がうたえたのだ。
メチャクチャな振り付けで声を枯らし、直球勝負で挑んでくる。
「なんてすげー奴等なんだろう・・」
あっ・・
僕はパソコンの前でボーッとしている自分に気付く。
「あの頃といってもまだ7年前か・・」
最大のライバル「どんぐり」に追いつくのはいつのことだろう?
そんな答えのない疑問を抱きながらパソコンの電源を落とし、僕は2階へ駆け上がった。