サイン誕生秘話

高校の休み時間僕はノートにかじりついていた。
「なにこれぇ〜」
友達は横から覗き込み笑っている。
僕は「サイン」の練習をしていた。
テレビで芸能人がよく書いている、あの「サイン」ってやつだ。
路上ライブを始めてまもない頃、一人の女の子にサインを求められた。
「サインなんて考えてないですよ・・」
僕は照れ笑いをしながら始めての経験に戸惑っていた。
女の子は小さなノートとペンを突き出し、困っている僕を待っている。
「適当に書くこともできないしな・・」
頭をフル回転させながらゆっくりノートとペンを受け取る。
女の子の顔がパッとあかるくなった。
「もう引き返せないぞ〜」
ペンをノートにつける。
女の子が息を飲んでそのペン先を覗きこむ。
僕の心臓は鼓動を速め、まるで告白する時のように緊張した。
その時糸が切れたかのように僕の手は動き出し、ペンが何かを書き始めた。
女の子の顔からは満面の笑みがこぼれ、少し離れた場所に立っていた友達を手招きしている。
「私もサインください!」
僕が書き終わらないうちに違うノートを差し出され、うぉっ!?っと一瞬ひるんだが「もしかして今俺って芸能人みたい?」という甘い思いが頭をよぎりノートを受け取った。
通りすがりの人達が僕の方を見ている。
「たまらんな〜芸能人は・・ウへへ」
頭をかき、いかにも「照れてま〜す、新人で〜す」というヘラヘラ顔をしながら僕は1分程の甘い時間をすごした。
「ありがとうございました」
彼女達の後姿を見送る時も高鳴る鼓動を抑えられずにいた。
「サインなんか求められちゃったよ俺ぇぇ!」
拳を突き上げ猪木のように天高く叫びたかった。
「ダぁぁぁぁー!!」
僕は次の日からノートが破けるぐらいサインの練習を始めた。
友達も呆れて教室を出て行ってしまった。
「芸能人〜♪芸能人〜♪」
前日の余韻のせいか鼻歌まで歌っていた。
窓の外、青空には白い入道雲が絵のように張り付いていた。
高校2年の思い出である。
それから8年が過ぎた。
僕は前より沢山ライブをやるようになり、サインを書く機会が多くなった。
「ありがとうございます」
甘い気持にはもうならない。
ヘラヘラ顔にはもうならない。
自分の役目がわかった今、芸能人に大きな憧れはもうない。
けれどあの日初めてサインした時と変わらない感情がある。
「ただ好きで始めた歌なのに・・ありがたいな」
あの日初めて書いたサイン、彼女達はまだあのノートを持っているだろうか?
僕がもしテレビに出たら思い出してくれるだろうか?
「くどうしんたろう」とひらがなで書いた二つのサイン。
かっこ悪いけどいい思い出だ。