済州島滞在記

夜の道をヘッドライトが照らす。
少し疲れた体を後部座席に預けネオンを眺める。
タクシーのラジオはまるで異国の言葉のような遠い響き。
抱え込んだ紙袋から突き出たシュノーケル、そしてキムチの匂い。
土産は少ないけれど何ともいえない充実感が胸を満たしていた。
韓国の済州島(チェジュ)という島に行ってきた。
人口55万人のそこは韓国人観光客も多く訪れる日本で言う沖縄と言ったところ。
「ジェントルメンズクラブ」と名づけた僕達の旅行。
八代さんの事務所の社長も含め男性スタッフだけが集まり発足したこの計画。
三泊四日は短く済州島の象徴的な天気「スコール」のように時はあっという間に過ぎていった。
「すっげー粉!」
初日に入った焼き肉屋では魚介類も出され、それに付いてきたワサビが笑えた。
緑が蛍光色なのだ。
まるで「人口芝生のグリーンをそのままお皿に盛りました」という感じ。
口にしたスタッフの第一声は「美味しい」でも「まずい」でもなく「すっげー粉!」
その反応に一同大笑い。
しかしこんな時、日本の食のこだわりを痛感する。
韓国の市場に足を運んでも衛生面的に大丈夫か?という場面を何度も見た。
干した魚や鶏肉にハエがたかろうが多少のことは関係ない顔をしている。
僕を睨みつける豚の頭。
山盛りのキムチ。
長靴履きのおばちゃんが出刃包丁でぶった切るアンコウ。
皮を剥がれた丸裸の鶏肉。
グロテスクとも思えるそんな景色でも毎晩食べるチゲ鍋は美味しいが。
アーケードの下、喧騒と沈黙が僕をじっと見つめていた。
「うぉー!」
二日目は海遊び、降り注ぐ日差しに塗りたくった日焼け止めクリーム。
まるでピエロの集団のように真っ白な顔で黄色のバナナボートにまたがる。
前の人のケツが強く握った手綱と挟まれ痛い。
時たまバウンドするそのケツが顔に擦れて痛い。
散々叫んだ後で急にスピードを速められ一同沈没。
岸に上がった時にはさっきまでの威勢のよさはいずこ。
焼けた砂浜で足をピョコピョコさせながら早々ホテルへ戻った。
テレビをつけてビックリ。
なんと日本の甲子園の中継がやっているではないか。
見入るスタッフ、なかなか終わらない延長戦。
時計と睨めっこしては行くはずの済州競馬場の予定が遠のいていく。
結局残り1レースにどうにか滑り込み、まったく読めないハングルを見つめ結果予想する。
身振り手振りで発券所のおばさんと格闘。
「こういったときは好きな数字をマークするんだよ」
直感を頼りにマジックで3番を塗りつぶした。
発走、そして長い沈黙。
こちらの馬は日本のよりもやや小ぶり。
ジョッキーの中には女性もいて驚いた。
過去に一度、僕は日本の有馬記念というものに行ったことがある。
地平線まで人で埋めつくされたそこはゴール間際になるとチケットの花吹雪が舞う。
10万人近い人が千切ったハズレ馬券をいっせいに空に投げるのだ。
握り締める馬券。
遠くで競い合う馬の姿をテレビが映し出す。
ゴールに近づいてくると歓声が徐々に大きくなっていった。
ムチを叩くジョッキー、速くなる胸の鼓動。
「いけいけいけ!!」
済州競馬場は一瞬歓声と興奮が濁流となり渦をまいて僕を飲み込んだ。
「当たったー!!」
左横にいた社長が叫ぶ。
なんと社長、八代(8・4・6)を中心に馬券を買っていたらしい。
来たのは4−6、50倍の配当が付いていた。
飛び上がるスタッフ一同、僕達は即座に払い戻しに駆け込んだ。
さっき格闘したおばちゃんに親指を立てる。
おばちゃんも窓越しでウィンク。
韓国は1万ウォン札(日本円で約千ニ百円)が一番大きなお札。
束になって出された札束はなんだか億万長者になったかのよう。
突然降ってきた幸運に僕達はためらいながらも肩を震わせた。
勢いに乗って街の銭湯に一直線。
一日の疲れを癒そうではないかとタクシーを走らせた。
総勢5名の乗組員、一台では乗れないということで二台連なって移動。
目的地に着くなり運転手さんが片言の日本語で言った。
「二万五千円です」
たった20分程のドライブにとんでもない値段を吹っかけられ外に出る。
後ろから付いてきたタクシーに値段を聞けば「千五百ウォン(約二千円)」と答える。
考えてみれば走り出した時メーターを倒していなかった。
抗議しても言い張るその値段に一同眉をひそめる。
「こっちは二千円でそっちは二万五千円はおかしいじゃないか!」
やはり日本人はお金を持っているイメージなのだろう。
各お店に行っても時たまメニュー表記以上の額を請求される場合が多い。
「ふざけるな!」
声を荒げてタクシーを降りた社長に拍手。
ようやくその運転手はひるみ千五百ウォンをふてくされながらも受け取った。
それからというもの旅の先々で疑心暗鬼モードになったのも無理はない。
あちらのサウナは約500円。
何種類ものサウナが楽しめ、現地の家族連れが多く見られた。
驚いたことにその銭湯、水風呂が一番大きかった。
10メーターあまりのそれを子供達が端から端へ平泳ぎ。
まるで小さい頃の僕を見るようで、どこの国の子も一緒なんだと微笑んだ。
Tシャツのまま入る床が畳のサウナ。
小指の先ほどの白い砂利が敷き詰められたサウナ。
様々なサウナを味わい上がる頃には僕達の体はミイラのようにカラカラになってしまった。
タオルで体を拭いている時、不思議な光景が目に飛び込んできた。
なんと散髪しているではないか。
ハサミの小気味よいリズムが響く。
なんと韓国、銭湯の中には必ずといっていいほど散髪屋があるという。
そしてよりによってそこの店長、有名なすご腕美容師。
「ビューティーチャンピョン」
壁に貼られた写真にはしっかりトロフィーを抱えた店長の姿が。
文化の違いとは言ってもこの発想は日本にはない。
「どうですかタマゴ?」
扇風機の横、三個で150円のゆで卵。
冷蔵庫に並ぶコーヒー牛乳。
なんとこれ牛乳じゃなく茶色の豆乳。
必死に売り込むお店のおじさんに負け一同腰に手を当て一気に飲み干した。
甘い味付けで喉の渇きも手伝いとても美味しかった。
「一本二千五百ウォンです」
僕達は服を着て外の風で火照った体を冷ました。
あとあと考えれば豆乳二千五百ウォン(3百円)は銭湯代の約半額。
騙されたのかそれとも何なのか、空腹とボーっとした頭では考えても答えは出なかった。
そんなことよりやってきましたチゲ鍋ターイム。
赤く染まったスープの中にキムチや豚肉、魚介類などいれてぐつぐつ煮込む。
頼まなくても出てくるカクテキやキムチなどの惣菜。
待ちきれない僕達は早々とビールで乾杯。
若干日本に比べ薄味のビールは僕好み、すぐ赤くなる顔もこの時ばかりはご愛嬌。
鍋の最後に入れたラーメンもたまらなく美味い。
サウナよりも汗をかきながら「あー」だとか「うー」だとか声にならない声で完食。
タクシーの運ちゃんの横柄さも、豆乳の値段の怪しさも今となってはどうでもよくなっていた。
ヒリヒリする舌が韓国にいる証明のようで嬉しい。
汗を何リットルもかいたその日はぐったり丸太のように眠った。
「朝ごはんは食べないでください」
ツアーコンダクターの言葉は当たっていた。
翌日の昼に乗った「潜水艦ツアー」で僕達はひどい思いをすることになる。
どんな大冒険が待っているのかと皆始めは大興奮。
しかし海底3mで止まったそれはそんなに綺麗でもないサンゴ礁と魚に餌やるダイバーを僕らに見せ浮上した。
約20分、これといった山場もなく気持悪さと重い空気だけが残った。
迎えに来た船には次の乗客たちが目をキラキラさせながら乗っている。
僕達といえば青い顔で救助を待つ難民のよう。
島に戻るまで誰一人喋る者がいなかったのがそのひどさを物語っていた。
その夜、僕らは気分晴らしにホテルのカジノへ行った。
人影はまばらだったが、その中でも人だかりができているテーブルが一つ。
それは「バカラ」というゲーム(丁半賭博に近いルール)だった。
現金をチップに変え二つに一つの未来に賭ける。
勝てば二倍、負ければ没収の天国と地獄。
僕は昔から賭けごとが弱い。
パチンコに行ったにしろ吸い込まれてく玉達。
スロットをやったところで滑ってしまう「7」達。
競馬もダメ、宝くじもダメ。
唯一の救いとしてはオートレースで百円が何倍かになった程度。
気弱な僕に神など振り向いてくれるはずもなく、あれよあれよと減ってくチップの小山。
カードをきるお姉さんが意味ありげに微笑む。
眠気にまぶたを奪われ意識が集中できぬまま僕のカジノタイムは終わった。
ダメでもともとと思い込んでもやはり勝てない自分にため息一つ。
「慎太郎は勝っちゃダメなんだ」
昔から何か物を作る人は賭け事に弱いという。
社長が帰り際に言った強引な慰めに僕は少しだけ笑った。
チゲ鍋の効力が効いてきたのか帰り道みんなでオナラをしながら散歩した。
来年の旅先を話しながらスコールが降った後の水溜りを爪先立ちで歩く。
ポケットに手を突っ込んで見上げる夜空。
東京にも続いているのかと思うと何だか不思議な気持になった。
経済大国と呼ばれる僕の母国日本。
偽りの幸福が氾濫し本当に大切なもが見えなくなっている気がする。
日本の良さは?と尋ねられても、ないものねだりをするように海外への憧れを連呼。
食文化のみならず折り紙を折るような繊細な心遣いは世界一なのに。
僕達は恩恵を当たり前のように浴び過ぎてしまったのだろうか?
旅から帰ってきて空港で見た「おかえりなさい」の文字。
不思議なことにスーツケースを抱え郷愁感に浸る僕がいた。
やっぱり僕はこの国で生まれこの国で生きていくんだろう。
責任じゃないけれど少なからず自分の国に誇りを持てる人間でありたいと思った。
浮かんでくるは初乗り200円のタクシー運転手の顔。
浮かんでくるは嬉しそうに運ぶチゲ鍋屋の主人の顔。
浮かんでくるはカジノで退屈そうにカードをきるディーラーの顔。
それぞれの人生をほんの少し想う。
そしてほんの少し優しくなれる僕がいる。
世界中にはまだ行ったことも会ったこともない奇跡が待っているんだろう。
永遠がいくらあっても足りないようなドキドキを胸に僕は旅を続けたい。
日本をもっと愛せるように、自分をもっと愛せるように。