親父の星空

今、親父が横にいて慣れないパソコンをいじっている。
僕がCDを作っていると「一人より二人のほうがはかどるだろ」と手伝い始めたのだ。
家にはパソコンが二台あるので「焼き」と「印刷」が同時進行させられる。
しかし一人では行ったりきたり、無駄な労力と時間がかかってしまう。
親父は黙々とタバコを片手に画面を見つめている。
僕の幼い頃のことをふと思い出す。
幼稚園の頃、僕は『ゾイド』という恐竜のプラモデルが好きだった。
しかし作るという事にはまったくの無関心で、親父が夜中汗水たらして完成させたものを「やー!」とか「あちゃー!」とかいいながら壊してばかりいた。
ある時、夜中にフッと目を覚ましリビングルームを覗きこんだことがある。
親父はコタツに入りながら説明書を斜めにしたり裏返したり、まだまだ未完成のプラモデルを眺めていた。
僕は忍び足で布団に戻り目を閉じ眠った。
スズメが鳴いている。
僕はパッと身を起こし一目散にリビングルームに走った。
そこにはいかにも凶暴そうな二本足の恐竜がテーブルの上で牙をむいていた。
「かっちょいー」
僕はそいつを握り締め台所で遊んだ。
「あちょー!」「こいつめー!」
後ろを振り返ると、騒ぎを聞きつけた母親が目をこすりながら立っていた。
親父はプラモデルの他にも本棚を作ってくれたり家具の調整をしてくれたり、手先の器用さを武器に何度も僕にアッと言わせた。
物静かな親父が僕を一度だけひっぱたいたことがある。
小学生になった僕を連れて両親が親戚の家に訪れたときのことだ。
テレビゲームに夢中になった僕は、両親に「帰るよー」と言われても「ちょっと待ってー」と言い返してはゲームを続けた。
車に乗るときでさえ「もうちょっとやりたい」と駄々をこねた。
親戚は僕と両親のやりとりに「困ったわねぇ」という顔で立っていた。
そのときである、乾いた音が夜空に響いた。
「バシッ!」
僕の頬は熱を持ち、口の中は鉄くさいにおいでいっぱいになった。
「いいかげんにしろ!」
親父が平手打ちをし叫んだのだ。
鼻血があごを伝った。
とたんに僕は身をひるがえし走った。
角という角を曲がり、迷路のような夜の町を走った。
涙と鼻血で僕の顔はめちゃくちゃになっていた。
止まっている車の陰に隠れ、嗚咽をこぼし泣いた。
まだ消えない頬の熱。
「しんちゃーん」
親戚のおばさんの声が遠くで聞こえる。
僕は闇に身を潜めた。
半ズボンの足はすでに何箇所も蚊に刺され痒くて仕方なかった。
止まりかけた鼻血を右手の袖で拭き取り、まだ残る嗚咽を必死にこらえた。
「どうして叩かれたんだろう?」
親戚を困らせたからか?駄々をこね続けたからか?
じっと暗闇を見つめた。
セミの鳴き声、風鈴の音。
夏の夜の静けさは僕に不思議な安心感を与えた。
どのくらい僕は車の陰に隠れていたのだろうか。
「しんちゃーん」
いつの間にか近くまできている声に僕はゆっくり立ち上がり歩き出した。
帰りの車の中、親父は黙っていた。
母親は何度も振り返り僕の様子を伺っていた。
僕は目を閉じ眠った。
「できたよ」
パソコンの横にCDを並べながら親父がつぶやく。
「ありがと」
最近の僕と親父の会話はこんなもんだ。
お互い気恥ずかしくて面と向かって話さない。
「音楽やるのもいいけど息子には後継ぎしてもらわなきゃ困る」
親父は仕事仲間にこうもらしていた。
しかし僕がTVに出ることが決まったとき一番喜んでだのは親父だったのかもしれない。
「うちの息子がTVに出るんです、お時間あったら見てやってください」
小さな声で隠れながら電話する親父の姿を何度も見た。
言葉にならない感謝の気持が胸に詰まった。
「親父にも夢ってあったのかな?」
たまにふと疑問に思うことがある。
僕を育てるうえで犠牲にしてきた親父の夢。
家庭を守るために削り続けた親父の夢。
沢山の夢の残骸が家のあちこちに転がっている気がしてならない。
もし僕が子供を育て、息子が「音楽で飯を食いたい」と言い始めたらどうするだろう?
過去の自分の夢と息子の夢を重ね合わせ、知ったような顔で否定するのだろうか?
「現実は甘くない」
作り上げた自分なりの現実に息子を閉じ込め、安定した道を歩かせようとするだろうか。
「これからどうするんだ?」
親父は音楽をやり続ける僕に一度も聞かなかった。
僕の夢を肯定するでも否定するでもなく黙っていた。
正直、親父は息子と面と向かって話す勇気がない「ダメ親父」なんじゃないかと思っていた。
しかし今思えば親父は戸惑っていたのかもしれない。
息子としてどうではなく、人間としてどう生きてほしいかを。
中途半端な父親像を演じるより、一人の男として必死に悩んでいたんじゃないだろうか。
僕は答えを知りたがった。
答えのない疑問を親父にぶつけ続けた。
そのたび親父は黙りこんだ。
答えのないことに焦り、不器用すぎる親父にいらつきさえ感じた。
僕はなんてバカなんだろう。
親父は人間らしく戸惑っていただけなのに、僕は「ダメ親父」のレッテルを貼り付けていた。
「じゃ先寝るよ」
階段をゆっくり上がる親父の足音。
僕は耳を澄ませ親父が布団に入る音を確かめる。
「ありがと親父」
あの日僕が車の陰から見上げた星空と同じように、立ち尽くす親父の星空もきっと少しにじんでいたに違いない。