「友達」って言葉を使うことをためらっていた時期があった。
21歳の夏。
俺は親友だと思っていた奴にはめられ、ボコボコにされ金を奪われた。
奴は警察に捕まり、10年の禁固刑になった。
奴は刑務所から手紙をよこした、
「悪かった・・」
俺は許すとか許さないとか、そんなことより何も考えられなかった。
残念すぎる気持ちが心を塞いで言葉にならなかった。
俺は考えた。
「友達って何だ?」
人を信じることを極端に嫌った。
信じることが奇麗事にしか思えなくなっていた。
「信じるってなんだ?」
心から笑うことを忘れ、昔好きだった歌さえ鼻で笑っていた。
「バッカみたい・・」
一年が過ぎ、自分の周りに誰もいないことに気が付いた。
寂しくはなかった。
その頃、音楽が聴こえてくるだけで耳をふさいだ。
心に音楽が流れ込んでこないように耳をふさいだ。
第二の自分が囁く、
「すきを見せるとまた裏切られるぞ」
怖かった。
裏切られるのが怖かった。
心を石のように硬くしていなければ生きていけなかった。
泣くことも笑うことも忘れたわけじゃなかった。
ただ人を信じることが怖かったんだ。
俺は眠った。
何も考えず、ただ眠った。
どれくらい時間がたったんだろう。
ふと目をあけ、天井を見上げた。
その時何気なく棚に手をのばし、1枚のCDをプレーヤーにいれた。
海援隊
鼻で笑っていた、ダサいはずのフォークソング
なんで手に取ったんだろう。
「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい、人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから・・。」
涙が溢れた。
この歌には心を許せた。
信じてもいいと思った。
真っ暗い部屋で大声をあげて泣いた。
俺はあの時初めて「信じる」ってことを知ったのかもしれない。
あの日から俺は人を信じてみようと決めた。
裏切られてもいいと思った。
心に余裕がうまれ、泣いたり笑ったり自然に出来るようになった。
あんなに嫌っていた「音楽」に俺は救われたのだ。
俺は今、毎週路上ライブをやっている。
もしかしたら、前の俺のように悩んでいる人が駅の改札をくぐってくるかもしれない。
その時、俺はその人を救ってあげられるだろうか?
見せかけだけじゃない「裸の言葉]で歌ってあげられるだろうか?
信じてあげよう。
裏切られても。
歌ってあげよう。
心をこめて。